喜びを探究している。 苦しみも、少しは受け入れてきた。 心を砕き、時間を使い、お金を使った。 振り返ると、それら一つ一つの選択が、今のわたしになっている。
手間暇をかける、という言葉がある。 物に、時間に、人に。 そうして日を重ねたものだけが、やがて手になじみ、自分の一部になっていく。 そうしたものを、ひとつずつ並べてみる。
本、筆記具、鞄、靴、ジュエリー、工具、机、椅子、保湿剤、AI エージェント、ネット証券会社、いくつかの店、いくつかの人。 分野はばらばらで、値段も性質も違う。そのどれもが、自分でしっかり選び、長く付き合っているものばかりだ。 長く生きていると、他の方々が発明した様々な革新的な手仕事にも出会う。それらを精査して、使い続け、鑑みる。
そこに共通して流れている一つの眼差しがあることに気が付く。
『魂の籠った、手仕事を見抜く観察眼』
大量に流れてくる物と情報の中から、誰かが丁寧に手をかけて作ったもの、途方もない労力や決断、お金と時間をかけて磨き続けられた技術、静かに誠実に仕事をしている人を見抜く眼。
目利きとも、審美眼とも、少し違う。派手で分かりやすい一等品を当てる眼ではなく、日常のすぐそこにあって、気づかれずに通り過ぎていく「丁寧さ」を、見抜く観察眼。
この眼は、生まれつきのものではない。 長年、物に触れ、人に触れ、時間に触れ、失敗に触れるなかで、少しずつ育ってきた。 そして今も、紆余曲折しながら樹木のように育ち続けている。
選択する自分の中に蓄積していく「観察眼」。 選んだ一つ一つが、次の選択のための基準を残してくれる。
AI エージェントが、多くのことを肩代わりしてくれるようになった。 それでもなお、手間暇をかけたいと思うものは、驚くほどたくさんある。 むしろ、代わってくれる何かが増えたからこそ、観察眼の輪郭が、より鮮明に見えてきた気がする。
情報の大部分を AI エージェントに任せられる時代になったからこそ、最後の一手として「これを選ぶ」と決める瞬間の審美が、いっそう深い喜びを返してくれる。
「中今(なかいま)」とは、過去でも未来でもなく、いまこの瞬間を丁寧に生きる、という古い日本の言葉だ。 この媒体は、その『中今』を軸にして、手間暇をかけてきたもの、これから手間暇をかけていきたいものを、ひとつずつ書き留めていく場所にするつもりでいます。
書き留めることは、自分の中でしか働いていなかった観察眼を、言葉にして外に出していく作業でもある。読んでくださる方のなかに、似た眼差しが少しでも共有できたら、とても嬉しいです。
綴っていくのは、四つの方角から。
——好きなもの。自分を、しずかに喜ばせてくれるもの。 ——長くあるもの。時間をかけるほど、価値を増していくもの。 ——伝えたいもの。親しい人に、そっと薦めたくなるもの。 ——支えるしくみ。欲しいときに選べるための、暮らしの土台。
どれも、派手な買い物の話ではない。観察眼と様々な人の手間暇をかけ続けることでしか、辿り着けない景色の話であると思っています。
急がずに、ひとつずつ。 お付き合いいただけたら嬉しいです。
本記事には広告は含まれません。 今後の記事で商品を紹介する際、必要に応じてアフィリエイトリンクを掲載しますが、その場合は記事内に必ず明示します。紹介する物はすべて、書き手が実際に手間暇をかけた、あるいは手間暇をかけたいと感じたものに限ります。