№ mmxxvi · ix a quiet journal
支えるしくみ

半分になっても、眠れるか

送りバントのような人生と、使うことの難しさ

この連載の名前は「枕を高くする」です。今回は、その看板を自分で試してみます。

世界が喘いでいた頃、私は普通に暮らしていました

2008 年、リーマンショックが起きました。

世界中が喘いでいました。株価が崩れ、名前の知れた金融機関が倒れ、仕事を失う人のニュースが毎日流れていました。

その頃の私は、金融資産も、金融の知識も持っていませんでした。そして、何不自由なく、いつも通りの暮らしを送っていました。

いま思えば、それは私の力ではありません。中小企業にとって、あの時期がどれほど苦しかったか。給与が毎月きちんと振り込まれ続けることが、どれほどのことだったか。

社長の心も知らず、社長のお陰様で、私は普通に暮らせていたのです。当時は、そのことにすら気づいていませんでした。

いま思う、あの出来事の正体

当時は、世界で何が起きているのか分かりませんでした。いまは多少視野が広がって、少し分かる気がします。

私なりに、ごく素朴に言えば、こういうことだと思っています。

お金を持たない人が、家が欲しいという欲望を叶えるために借金をして、返せなくなった。

ただ、これだけでは半分です。もう半分があります。

貸す側が、返せないかもしれないと分かっていて貸した。 そしてその借金を細かく束ね直し、別の商品として世界中に売った。借りた人だけでなく、貸した人も、それを買った人も、同じ賭けに乗っていたわけです。

一人の人間がやれば、ただの破綻で終わる話です。分かりきった顛末です。それが、金融機関や国が関わって規模が大きくなると、なぜか罷り通ってしまう。

以前、両親から受け取った教えのことを書きました。借金はするな。金を貸すな。 あの出来事は、その二つを世界の規模で同時に破ったものだった、と私は理解しています。

多かれ少なかれ、人間のやることは、いつも何かしらの問題を孕んでいます。規模が大きくなっても、それは変わらない。むしろ大きくなるほど、見えにくくなるだけなのでしょう。

明日、半分になったら

ときどき、考えることがあります。

台湾の有事、日本の有事、石油の危機。何かをきっかけに、大きな暴落が明日来たら。それでも私は、枕を高くして眠れるだろうか。

いま私が持っているのは、少ない頭と体力をフル回転させて積み上げてきた、こういうものです。

  • 全世界株式のインデックス投資信託(eMAXIS Slim 全世界株式)
  • 米国の高配当 ETF(HDV、SPYD、VYM)
  • 十年かけて育ててきた、日本の高配当株。数えると 336 社になっていました
  • 二十年、買い続けてきた貴金属

これらが明日、すべて半分の価値になったら。

正直に書きます。それでも私は、毎日七〜八時間、きっちり眠れています。 考えたうえで眠れているのか、考えが足りないから眠れているのか。自分でも判然としません。

そこで、眠れている理由を並べてみることにしました。

眠れる理由を、並べてみる

根本的に、私は物事を深く考えられない性分なのだと思います。そのうえで、並べるとこうなります。

「ま、なんとかなるだろう」と思えること。 働こうと思えば働ける心と体が、まだあります。最後の最後は、自分が働けばいい。この感覚が、底にあります。

手に余る責任や借金を、極力避けてきたこと。 大きく打って出たことは、一度もありません。送りバントのような人生でした。ホームランは狙わない。代わりに、確実に一つずつ塁を進める。派手さはありませんが、アウトの数を無駄に増やしてもいません。

予見できる支出を、あらかじめ用意しておけること。 来年の税金、数年後の家電の買い替え、いずれ来る親のこと。分かっているものは、先に分けて置いてあります。

持っているものから、お金が湧いてくること。 配当です。値段が半分になっても、配当がすぐ半分になるわけではありません。

日本の高配当株が、実際に揺れを越えてきたこと。 コロナ禍のときも、トランプ関税のショックのときも、私が持っている会社の多くは、事業を力強く伸ばし続けました。株価が下がった日はあっても、会社そのものが弱ったわけではなかった。これは、十年持ってきたから言える実感です。

貴金属は、すぐには現金にならないが、株ほどは揺れにくいこと。 そして、使いようによっては、さらに価値を生み出す力も秘めています。

下がったときの話

実際、下がってもいます。

私が持っている貴金属は、2025 年の年末から 2026 年の夏にかけて、二割ほど値を下げました。

それでも私は、まったく心を痛めずに、この資産のことを忘れていられます。理由は単純で、値段が安かった時期から、積み立てて買ってきたからです。二割下がっても、買った値段よりはずっと上にある。忘れていても困りません。

そして、もし本当に半分になったら。

時期を何回かに分けて、買い向かうことができます。 そのための余力を、残してあります。

資産が半分になれば、世間は大騒ぎでしょう。テレビも、新聞も、周りの人も。私にとっては、その大騒ぎが買いの合図です。

ここまで並べてみて、ようやく気づいたことがあります。

眠れるかどうかは、値段では決まっていませんでした。売らずに済むかどうかで、決まっていました。

借金がない。予見できる支出は用意してある。働こうと思えば働ける。配当が湧いてくる。だから、値段がいくらになっても、売らなければならない理由が、どこにもない。 売らなくていい人にとって、値下がりは損ではなく、ただの数字の上下です。むしろ、安く買える機会にすらなる。

枕を高くするための条件は、たぶん、この一つに尽きます。

増やすより、使うほうが難しい

いまの私は、資産を増やすことには、ほとんど力を入れていません。

代わりに心がけているのは、自分が価値を感じること、豊かになれること、近しい人が喜んでくれることに、お金を使うことです。

これが、なかなか難しい。

自分のためにお金を使っても、心の芯から来る喜びは、なかなか得られません。 欲しかったはずのものを手に入れて、少し嬉しくて、それで終わってしまう。

以前、若い頃は欲しいものだらけで、欲しいと口に出す勇気すらなかったと書きました。いまは、買えます。けれど、買えるようになった分だけ、喜びが追いついてこない。 皮肉なものです。

ここぞ、と思える時機にお金を使うには、たぶん、日頃からの訓練がいるのでしょう。何に心が動くのかを知っておくこと。小さく使ってみて、自分の反応を確かめること。

この媒体で「欲しいもの」のことを書いているのは、その訓練なのかもしれない、と最近は思っています。


本記事は、筆者個人の経験の記録です。 記事中の投資信託・ETF の名前は、筆者が保有しているものの記録であり、購入を勧めるものではありません。投資助言でもありません。値動きや配当は将来を保証するものではなく、資産の運用はご自身の判断と責任でお願いいたします。 本記事に広告は含まれません。