№ mmxxvi · ix a quiet journal
支えるしくみ

ある日、相続の実務が全部こちらに来る

親族の相続を一人で引き受けて分かった、つまずく場所

親族の相続と遺品整理、そして不動産の処分を、一人で引き受けることになりました。年単位の時間がかかり、いまも完全には終わっていません。

この話は、個別の事情に触れると関係する方々の私事になります。ですので、場所も時期も金額も人数も、すべて伏せます。 書くのは、誰の身に起きても同じように立ち現れる、構造のほうだけです。

同じことが、あなたの身にも起こり得ます。そのときに「あ、これ読んだな」と思い出していただければ、それで十分です。

なぜ、一人のところに全部来るのか

相続の実務は、相続人全員で分担するもの——建前ではそうです。実際にはそうなりません。

条件が三つ揃うと、一人に集中します。

  1. 相続人が高齢である
  2. 相続人が遠方に住んでいる
  3. 相続人どうしが疎遠である

高齢だと動けません。遠方だと現地に行けません。疎遠だと、誰が何をするかを決める話し合いそのものが始まりません。

結果、動ける人・連絡がつく人のところに、全部来ます。 それが法定相続人でなくても、です。私がそうでした。相続で何かを受け取る立場ですらないのに、実務だけが来る、ということが普通に起きます。

覚悟しておくべきなのは、ここで「なぜ自分が」と立ち止まると、手続きが止まったまま年単位で放置される、ということです。放置された不動産は傷み、費用は増え、相続人はさらに高齢になります。誰かがやるしかないなら、早くやったほうが安いというのが、やってみた実感です。

最初に決めるべきこと ——「立て替え」の原則

これが、この記事でいちばんお伝えしたいことです。

亡くなった直後から、お金が出ていきます。火葬、搬送、行政手続、家の片づけ、鍵の交換、光熱費、固定資産税。

このとき、故人の預金に手を付けてはいけません。

理由は、相続放棄の余地を残すためです。故人の財産を使ってしまうと、法律上「相続する意思を示した」と見なされる可能性があります。もし後から多額の借金が出てきても、もう放棄できません。

ですから私は、最初から最後まで全額を自分で立て替えるという原則を立てました。これは苦しい判断で、実際かなりの額になりました。それでも、この原則を立てておいたことが、後の全局面で効きました。

立て替えると決めたら、次はこれです。

  • 領収書は一枚残らず取っておく
  • その場で表に記入する。 日付・支払先・金額・目的の四つだけでいい
  • 後で一円まで検算できる形にしておく

年単位が経ってから記憶で再現するのは、まず不可能です。そして精算の場面で、この表が唯一の根拠になります。曖昧な数字を出すと、必ず揉めます。

つまずくのは、想像しない場所

手続きの順番そのものは、調べれば書いてあります。火葬、行政手続、遺品整理、相続人の確定、遺産分割協議、相続登記、売却、税務。

つまずくのは、その順番の外側でした。

① 相続人が、確定しない

戸籍をたどれば相続人は分かります。問題は、その方々が全員「手続きのできる状態」にあるとは限らないことです。

判断能力を失っている方がいる。印鑑登録をしたことがない方がいる。連絡が取れない方がいる。

このとき、遺産分割協議はそもそも成立しません。全員の実印と印鑑証明が揃わないと、一歩も進まないからです。印鑑登録そのものから始めなければならず、そのために遠方の親族が別の遠方へ出向く、というような移動が発生します。

相続の期限を考えるとき、多くの人は書類を集める時間を見積もります。実際に時間を食うのは、人の状態のほうです。

② 隣の土地の持ち主が、いない

不動産を売るには、たいてい境界を確定させます。そのためには隣の土地の所有者に立ち会っていただく必要があります。

その所有者が、亡くなっている。あるいは共有者の一人と連絡が取れない。

こうなると通常の測量ができません。行き止まりです。

ここには制度上の抜け道があって、法務局の筆界特定制度という仕組みを使ったり、問題になっている僅かな部分だけを切り離して登記(分筆)したりすることで、前に進められる場合があります。私はそうしました。ただし、たどり着くまでに半年近くかかりました。

隣地の所有者が健在かどうかは、売却を考え始めた最初の日に確認しておくべきことです。

③ 家の中身が、図面と違う

片づけを始めてから、図面に載っていない建物が敷地内で見つかりました。中身も想定と違いました。撤去の見積もりは、当然のように増えました。

古い家屋では珍しくないそうです。見積もりは、必ず増える前提で考えておく。 これも実感です。

配分は、気持ちではなく文書で

ここも、痛い思いをしました。

配分を定めた文書が、二つ存在する状態になったのです。一つは法的効力のある遺産分割協議書。もう一つは、家族の誰かが善意で書いた「こうしたい」という手紙。

この二つの内容が、食い違っていました。

気持ちとしては、手紙のほうが温かい。実務としては、協議書が絶対です。そして——ここが大事なのですが——協議書と違う配分で実際にお金を振り込むと、その差額は贈与として扱われる可能性があります。

善意でやったことが、税金の問題になる。これは本当に、誰も望んでいない着地です。

ですから、配分は必ず一つの文書に一本化してから実行してください。「気持ちとしてはこうしたい」があるなら、それを協議書の中身そのものにする。手紙を別に残すのではなく。

税務は、いちばん最後まで残る

相続の実務が終わっても、税務は残ります。しかも一つではありません。

  • 相続税の申告 ——期限は原則、亡くなってから十ヶ月です。基礎控除を下回れば申告そのものが不要になる場合もありますが、「不要である」という確認を専門家に取っておくことが大事です
  • 準確定申告 ——故人に年金以外の所得があった場合。これは見落とされがちで、還付になることもあります
  • 譲渡所得税 ——不動産を売ったなら、翌年の確定申告です

三つ目で特に厄介なのが、取得費の資料です。その土地をいくらで買ったかを示す古い契約書が見つからないと、売却額のわずかな割合でしか取得費を見積もれず、税の負担が大きく変わります。

古い家の書類を片づけるとき、購入時の契約書だけは絶対に捨てないでください。 数十年前の紙切れが、後で大きな金額を左右します。

それでも、引き受けたことを後悔していない

長くかかりました。費用も立て替えました。感謝されることばかりでもありません。

それでも、後悔はしていないのです。

誰もやらなければ、家は朽ち、費用は膨らみ、相続人はさらに高齢になって、いずれ誰も手をつけられなくなります。誰かが引き受けた時点で、その未来は消えます。

これを読んでいるあなたが、いつかその「誰か」になるかもしれません。そのとき、立て替えの原則と、領収書の表と、隣地の確認と、契約書を捨てないこと。この四つだけでも思い出していただけたら、私の年単位は少し報われます。


本記事は、筆者個人の経験を一般化した記録です。 法務・税務の個別の判断については、司法書士・税理士等の専門家にご相談ください。記載した制度や期限は執筆時点のものです。個別の事情・場所・時期・金額は、関係する方々の私事にあたるため、すべて伏せております。 本記事に広告は含まれません。