前回の続きです。二百万円を借りて東京の学校へ行き、自分で見つけた中小企業に拾ってもらいました。
入った会社は、年商十億円ほどの規模でした。正社員として雇っていただき、一年目の給与は十八万円です。
十八万円が、十万円弱になるまで
給与の額面と、実際に使える額は違います。当たり前のことですが、当時の私は、その差の大きさに驚きました。
十八万円から、まず社会保険料と税金が引かれます。
- 健康保険
- 厚生年金
- 雇用保険
- 所得税
次に、暮らしの固定費です。
- 家賃 四万四千円
- 水道光熱費
- 通信費
ここまで引くと、手元に残るのは十万円弱でした。
この十万円弱で、食費と交際費のすべてを賄いました。
ひとつ補足しておきます。住民税は、一年目には引かれません。 前の年の所得に対してかかる税金だからです。二年目の六月から、いきなり給与明細の手取りが減ります。これを知らずに一年目の金額で暮らしの型を作ってしまうと、二年目に苦しくなります。
私は、たまたま最初から余裕のない暮らしをしていたので、助かりました。
贅沢は、蕎麦屋でした
あの頃の贅沢は、蕎麦屋に行くことでした。
それ以上のことは、していません。というより、できませんでした。
それでも、少しずつお金は貯まっていきました。何かを我慢したという記憶が、実はあまりありません。使う先そのものを、知らなかったのだと思います。
いま「収入が増えても支出が増えなかった」と書けるのは、この時期に暮らしの型が固まってしまったからです。型は、余裕のある時期には作れません。 余裕のない時期に作られたものが、そのまま残る。私の場合はそうでした。
証券口座を、開けませんでした
二十代の私は、証券会社に口座を開くという発想を持っていませんでした。
知識がなかった。情報もなかった。周りに、その話をする人がいませんでした。
ずいぶん損をした——とは、実は思っていません。
もし当時、手段にだけ恵まれていたとしたら。金融の知識がないまま、粗悪な商品を掴まされるのが関の山だったと思います。窓口で勧められるまま、手数料の高いものを買って、意味も分からず持ち続けていたでしょう。
投資を始めるのが早ければ早いほどよい、とよく言われます。それは、たぶん正しい。
ただ、知識より先に手段が来ると、たいてい良くないことが起きます。 順番があります。私は運よく、その順番を守ることになりました。守ろうとしたのではなく、単に手段がなかっただけですが。
教わった金融知識は、一つだけ
両親は、お金に苦労した人たちでした。
その両親が、口を酸っぱくして私に教えたことは、たった一つです。
借金はするな。
金融の教育と呼べるものは、これが全部でした。
いま思えば、ずいぶん乱暴な教えです。住宅ローンも、事業の借り入れも、全部ひとまとめに否定してしまう。正確とは言えません。
それでも——二十代の私には、これで十分でした。 判断材料が何もない人間にとって、単純な禁止は強い。知識のない状態で複雑な判断を迫られるより、よほど安全でした。
そして、少し苦い話をします。その両親に、私は二百万円を借りさせました。借金はするなと教えた人に、借金をさせたわけです。
この矛盾を、私はずっと抱えています。だからこそ、返し終えるまでのことは、よく覚えています。
こうして貯まったのが、五百万円でした。
投資もせず、ただ銀行に置いてあるだけのお金です。増えはしません。それでも、この五百万円があることで、私は初めて少しだけ眠りやすくなりました。
欲しいものは、沢山ありました
正直に書いておきます。
若い頃、欲しいものは山ほどありました。
車が欲しい。広い部屋に住みたい。家が欲しい。恋人が欲しい。友達が欲しい。遊びたい。
一つも手に入れていませんでした。そして、欲望を丸出しにする勇気すら、ありませんでした。
欲しいと口に出せば、手に入らない自分が確定してしまう気がしたのだと思います。だから言わなかった。ただ悶々とする日々でした。
貯蓄の話は、たいてい美しく語られます。「無駄を省いて、堅実に」。私の場合は違いました。欲しいものだらけで、何も言えず、ただ日が過ぎていったというのが実際のところです。
いま、この媒体で「欲しいもの」を書いているのは、たぶんその反動です。
続けられた理由は、意志ではありません
ここが、いちばん書いておきたいところです。
なぜ、あの暮らしを続けられたのか。
意志が強かったからではありません。私は意志が弱い人間です。理由は二つだけでした。
一つは、若かったこと。
これは身も蓋もない話ですが、事実です。二十代の体力は、余裕のない暮らしをかなりの期間、黙って支えてくれます。
もう一つは、仕事が「中負荷」だったこと。
これが決定的でした。
私の仕事は、主に製造管理です。決して楽ではありません。けれど、そこまで嫌いでもない。潰れるほどきつくはなく、辞めたくなるほど退屈でもない。 その中間にありました。
長く続く資産形成の話をするとき、たいてい利回りや積立額が主題になります。でも本当に効くのは、その暮らしを何年続けられるかです。
そして、続けられるかどうかを決めるのは、たぶん仕事の中身です。
- 情熱を燃やせる仕事だと、燃え尽きます
- 苦痛でしかない仕事だと、続きません
- 中負荷の仕事だけが、二十年続きます
私はこれを、選んで手に入れたわけではありません。たまたま当たっただけです。それでも、いま振り返ると、中負荷の仕事に当たったことが、資産形成において最大の幸運でした。
職場の環境も、似た意味で恵まれていました。中小企業ですから、意思決定は基本的に一人のところにあります。他の全員は、その決定を実行する側にいる。変わった人も、世間並みにはいます。
けれど、耐えられないほどではありませんでした。
この「耐えられないほどではない」という一語に、二十年分の重みがあります。
次は、その仕事で最初に覚えたことを書きます。
本記事は、筆者個人の経験の記録です。 記載した給与・税・社会保険の扱いは当時のもので、現在の制度とは異なる場合があります。特定の働き方や金融商品を勧めるものではありません。会社名・業種は伏せております。 本記事に広告は含まれません。