№ mmxxvi · ix a quiet journal
支えるしくみ

蕎麦屋が、贅沢でした

手取り十万円弱から、五百万円が貯まるまで

前回の続きです。二百万円を借りて東京の学校へ行き、自分で見つけた中小企業に拾ってもらいました。

入った会社は、年商十億円ほどの規模でした。正社員として雇っていただき、一年目の給与は十八万円です。

十八万円が、十万円弱になるまで

給与の額面と、実際に使える額は違います。当たり前のことですが、当時の私は、その差の大きさに驚きました。

十八万円から、まず社会保険料と税金が引かれます。

  • 健康保険
  • 厚生年金
  • 雇用保険
  • 所得税

次に、暮らしの固定費です。

  • 家賃 四万四千円
  • 水道光熱費
  • 通信費

ここまで引くと、手元に残るのは十万円弱でした。

この十万円弱で、食費と交際費のすべてを賄いました。

ひとつ補足しておきます。住民税は、一年目には引かれません。 前の年の所得に対してかかる税金だからです。二年目の六月から、いきなり給与明細の手取りが減ります。これを知らずに一年目の金額で暮らしの型を作ってしまうと、二年目に苦しくなります。

私は、たまたま最初から余裕のない暮らしをしていたので、助かりました。

贅沢は、蕎麦屋でした

あの頃の贅沢は、蕎麦屋に行くことでした。

それ以上のことは、していません。というより、できませんでした。

それでも、少しずつお金は貯まっていきました。何かを我慢したという記憶が、実はあまりありません。使う先そのものを、知らなかったのだと思います。

いま「収入が増えても支出が増えなかった」と書けるのは、この時期に暮らしの型が固まってしまったからです。型は、余裕のある時期には作れません。 余裕のない時期に作られたものが、そのまま残る。私の場合はそうでした。

証券口座を、開けませんでした

二十代の私は、証券会社に口座を開くという発想を持っていませんでした。

知識がなかった。情報もなかった。周りに、その話をする人がいませんでした。

ずいぶん損をした——とは、実は思っていません。

もし当時、手段にだけ恵まれていたとしたら。金融の知識がないまま、粗悪な商品を掴まされるのが関の山だったと思います。窓口で勧められるまま、手数料の高いものを買って、意味も分からず持ち続けていたでしょう。

投資を始めるのが早ければ早いほどよい、とよく言われます。それは、たぶん正しい。

ただ、知識より先に手段が来ると、たいてい良くないことが起きます。 順番があります。私は運よく、その順番を守ることになりました。守ろうとしたのではなく、単に手段がなかっただけですが。

教わった金融知識は、一つだけ

両親は、お金に苦労した人たちでした。

その両親が、口を酸っぱくして私に教えたことは、たった一つです。

借金はするな。

金融の教育と呼べるものは、これが全部でした。

いま思えば、ずいぶん乱暴な教えです。住宅ローンも、事業の借り入れも、全部ひとまとめに否定してしまう。正確とは言えません。

それでも——二十代の私には、これで十分でした。 判断材料が何もない人間にとって、単純な禁止は強い。知識のない状態で複雑な判断を迫られるより、よほど安全でした。

そして、少し苦い話をします。その両親に、私は二百万円を借りさせました。借金はするなと教えた人に、借金をさせたわけです。

この矛盾を、私はずっと抱えています。だからこそ、返し終えるまでのことは、よく覚えています。

こうして貯まったのが、五百万円でした。

投資もせず、ただ銀行に置いてあるだけのお金です。増えはしません。それでも、この五百万円があることで、私は初めて少しだけ眠りやすくなりました。

欲しいものは、沢山ありました

正直に書いておきます。

若い頃、欲しいものは山ほどありました。

車が欲しい。広い部屋に住みたい。家が欲しい。恋人が欲しい。友達が欲しい。遊びたい。

一つも手に入れていませんでした。そして、欲望を丸出しにする勇気すら、ありませんでした。

欲しいと口に出せば、手に入らない自分が確定してしまう気がしたのだと思います。だから言わなかった。ただ悶々とする日々でした。

貯蓄の話は、たいてい美しく語られます。「無駄を省いて、堅実に」。私の場合は違いました。欲しいものだらけで、何も言えず、ただ日が過ぎていったというのが実際のところです。

いま、この媒体で「欲しいもの」を書いているのは、たぶんその反動です。

続けられた理由は、意志ではありません

ここが、いちばん書いておきたいところです。

なぜ、あの暮らしを続けられたのか。

意志が強かったからではありません。私は意志が弱い人間です。理由は二つだけでした。

一つは、若かったこと。

これは身も蓋もない話ですが、事実です。二十代の体力は、余裕のない暮らしをかなりの期間、黙って支えてくれます。

もう一つは、仕事が「中負荷」だったこと。

これが決定的でした。

私の仕事は、主に製造管理です。決して楽ではありません。けれど、そこまで嫌いでもない。潰れるほどきつくはなく、辞めたくなるほど退屈でもない。 その中間にありました。

長く続く資産形成の話をするとき、たいてい利回りや積立額が主題になります。でも本当に効くのは、その暮らしを何年続けられるかです。

そして、続けられるかどうかを決めるのは、たぶん仕事の中身です。

  • 情熱を燃やせる仕事だと、燃え尽きます
  • 苦痛でしかない仕事だと、続きません
  • 中負荷の仕事だけが、二十年続きます

私はこれを、選んで手に入れたわけではありません。たまたま当たっただけです。それでも、いま振り返ると、中負荷の仕事に当たったことが、資産形成において最大の幸運でした。

職場の環境も、似た意味で恵まれていました。中小企業ですから、意思決定は基本的に一人のところにあります。他の全員は、その決定を実行する側にいる。変わった人も、世間並みにはいます。

けれど、耐えられないほどではありませんでした。

この「耐えられないほどではない」という一語に、二十年分の重みがあります。

次は、その仕事で最初に覚えたことを書きます。


本記事は、筆者個人の経験の記録です。 記載した給与・税・社会保険の扱いは当時のもので、現在の制度とは異なる場合があります。特定の働き方や金融商品を勧めるものではありません。会社名・業種は伏せております。 本記事に広告は含まれません。