№ mmxxvi · ix a quiet journal
支えるしくみ

二百万円を借りて、東京へ

取り柄が何もなかった頃のこと

資産の話をする前に、書いておきたい時期があります。

何も持っていなかった頃のことです。

何も考えていませんでした

平凡な高校生でした。将来のことなど、まるで考えずに日々を過ごしていました。

ろくに勉強もせず、そのまま理系の大学へ進みました。私立です。何がしたくて理系を選んだのか、正直なところ、いま思い出しても判然としません。

就職難の時代の真っ只中でした。周りが暗い顔で就職活動をしている中、私が手元に持っていたのは、たった一つの思いつきだけでした。

自分の手で、何かを生み出す仕事がしたい。

その一行だけを頼りに、大学を出たあと、東京の専門学校へ行くことに決めました。手を動かす仕事の学校です。

甘ったれていました

いま振り返ると、恥ずかしさで顔が熱くなります。

両親には、多大な費用をかけてもらっていました。それなのに私は、大学に行けて当然という心持ちでいたように思います。学費が誰の懐から出ているのか、考えたことすらありませんでした。

そのうえ、卒業してさらに東京の学校へ行きたい、と言い出したわけです。

かろうじて羞恥心が残っていたのでしょうか。大学四年のとき、アルバイトをして東京の学費を貯めました。自分でも意外なほど、真面目に働きました。

それでも、一年分の学費と生活費を賄うには足りませんでした。

結局、両親に二百万円ほど、公の金融機関から借りてもらうことになりました。

自分で稼いだ分では届かず、親に借金までさせた。この事実は、いまでも胸の奥に小さく刺さったままです。

ただ——この二百万円が、その後の私の礎になったことも、間違いありません。

お金というものが、どこからか湧いてくるものではないと、初めて実感として知りました。誰かが働いて作ったものであり、借りたものは返さねばならないのだと。二十二歳にして、ようやくです。遅すぎます。

いま私が、収入が増えても支出が増えない性分でいるのは、たぶん、この時期に刻まれたものだと思っています。

情報源は、仲間と本屋でした

一年間、全日の専門学校に通いながら、私はずっと面白そうな会社を探していました。

当時、インターネットは黎明期です。検索して何かが出てくるような時代ではありませんでした。

濃い情報が集まる場所は、二つしかありませんでした。

  • 専門学校の仲間
  • 本屋

同じ道を目指している人間が周りにいる、という状況が、どれほど貴重だったか。あの頃は分かっていませんでした。誰がどの会社を見ているか、どこが面白いらしいか、そういう話が毎日どこかで交わされている。あれは、いまで言えば最良の情報源だったと思います。

本屋も同じです。目的の棚に行くのではなく、目的のない時間をそこで過ごす。すると、探していなかったものが目に入る。検索では、探していないものは出てきません。

内定を断って、電話をかけ直した

やがて、専門学校が斡旋してくれた大企業から内定をいただきました。

普通なら、そこで終わりです。就職難の時代に、大企業の内定。文句のつけようがありません。

その直後に、面白そうな中小企業を見つけてしまいました。

そこからは、いま思えば無謀なことをしています。

  1. 会社に直接電話をかける
  2. 直談判する
  3. 断られる
  4. もう一度、電話をかける

そして、内定をいただきました。

そのあと、先に内定をくださっていた会社へ出向いて、平謝りしました。あの日の気まずさは、よく覚えています。

こうして入った中小企業に、私はその後、二十年以上勤めることになります。

当時の自分には、想像もできませんでした。

新卒という切符と、寛容な採用基準

正直に書きます。

私が採用されたのは、能力を買われたからではありません。

大学と専門学校を出ていながら、能力はほぼゼロでした。英語は話せない。日本語も、人と意思を通わせる力も、ほどほど。手を動かす技術も、学校で習った程度です。

あれは、新卒という切符と、とても寛容な採用基準のおかげでした。

いま同じ人間が同じ会社を受けても、たぶん通らないでしょう。時代が私を拾ってくれた、というのが正確なところだと思います。

中学を出たら、働いたほうがよかったのでは

そう考えることが、ときどきあります。

高校を卒業して、いや、中学を卒業して、すぐに社会に出て働いていたら。もっと早く、お金がどこから来るのかを知っていたら。もっと早く、自分の手で何かを作っていたら。

私の場合に限って言えば、学校にいた時間の多くは、考えずに済ませるための時間でした。将来を決めなくていい猶予として使ってしまった。二百万円の借金を抱えて初めて、私は考え始めたのです。

もちろん、これは私個人の話です。学問がその人を作る例を、私はいくつも知っています。ですから、誰かに勧めるつもりはありません。

ただ——自分の場合は、もっと早く恥をかいておくべきだった。それだけは、はっきりそう思います。

この話を、なぜ最初に書くか

この連載は、資産の話をする場所です。

それでも、こういう話から始めたいと思いました。

いま私が持っているものは、才覚の結果ではないからです。甘ったれた学生が、二百万円を借り、寛容な会社に拾われ、たまたま続いた。そこから二十年かけて、ゆっくり積み上がっただけのことです。

才能のある人の話は、読んでも真似ができません。

取り柄のない人間が、どこで、何に躓いて、何を身に付けたのか。そちらのほうが、たぶん使えます。

次は、その会社で最初に覚えたことを書こうと思います。


本記事は、筆者個人の経験の記録です。 進路や働き方について、特定の選択を勧めるものではありません。学校名・会社名・業種は伏せております。 本記事に広告は含まれません。